「自分が引退した後、この会社はどうなるのか」——この問いを、多くの中小企業経営者は先送りにしている。日々の業務に追われ、後継者候補と本音で話す機会を逃し、気づけば70歳を超えていた。そしていざ承継を考えたときには選択肢が大幅に狭まっていた——そそうした経験を持つ経営者は決して少なくない。
中小企業庁は2022年3月、2016年以来6年ぶりに『事業承継ガイドライン』を改訂し、第3版を公表した。本稿では、このガイドラインが示す事業承継の5つのステップを、譲渡側オーナー経営者の視点から読み解く1。
この記事の要点
- 日本の中小企業経営者の平均年齢は2020年に初めて60歳を超え、事業承継は「待ったなし」の経営課題となっている
- 中小企業庁は事業承継プロセスを5ステップ(①認識 ②見える化 ③磨き上げ ④計画策定/M&A ⑤実行)に整理している
- ステップ1〜3は承継類型(親族内・従業員・第三者)を問わず共通の準備作業
- 準備着手の目安は経営者60歳前後、完了までの標準期間は5〜10年
1. なぜ今、事業承継ガイドライン(第3版)なのか
経営者高齢化と「二極化」する承継の現状
事業承継ガイドライン(第3版)によれば、日本の中小企業における経営者交代率は長期にわたり低下傾向にあり、直近5年間の平均は3.8%にとどまる。この結果として、経営者年齢のピーク層は2000年の「50〜54歳」から2015年には「65〜69歳」へと移動した1。
もっとも、足下の動向はやや複雑である。2020年時点では経営者年齢の多い層が「60〜64歳」「65〜69歳」「70〜74歳」の三層に分散しており、団塊世代の引退が進む一方で、承継が停滞したまま70歳以上に滞留する企業群も増えている。中小企業庁はこれを「事業承継を実施した企業と実施していない企業の二極化」と表現している1。
「黒字廃業」という社会的損失
より深刻なのは、廃業予定企業のなかに事業継続能力のある企業が相当数含まれていることである。日本政策金融公庫総合研究所の2019年調査によれば、廃業予定企業のうち約3割が同業他社より良い業績を上げていると回答し、約4割が今後10年間の将来性について現状維持以上が可能と答えている2。さらに、休廃業・解散企業のうち直近決算が黒字であったものが全体の約6割を占める状況が続いている1。
これは「事業継続が困難であるから廃業する」のではなく、「承継の仕組みが機能しないから廃業する」ケースが広範に存在することを示している。ガイドライン第3版改訂の背景には、この構造的課題への危機意識がある。
第3版改訂の3つの主眼
中小企業庁は第3版改訂の趣旨について、親族内承継だけでなく従業員承継や第三者承継(M&A)も増加し、従来の常識だけでは承継を進められない状況になっていると説明している1。改訂の主眼は次の3点。
- 事業承継に向けた早期取組の重要性(事業承継診断の実施)
- 事業承継に向けて踏むべき5つのステップ
- 地域における事業承継支援体制の強化
このうち第2項の5ステップこそが、ガイドラインの実務的骨格をなしている。以下、その全体像と各ステップの論点を順に見ていく。
2. 事業承継5ステップの全体像
5つのステップとその分岐構造
ガイドラインは、事業承継のプロセスを5つのステップに整理している。ステップ1から3は全承継類型に共通する準備作業であり、ステップ4で親族内・従業員承継とM&Aに分岐し、ステップ5で実行段階に入る。
時間軸の前提——60歳前後で着手する
もう一つ重要なのは時間軸の前提である。中小企業の経営者の平均引退年齢は67〜70歳とされており3、逆算すればステップ1への着手は60歳前後が望ましい。ガイドラインも、おおむね60歳を迎えた経営者に対して承継準備に取り組むきっかけを提供していくことが重要であると明記している1。
3. 5つのステップを実務でどう動かすか
ステップ1:準備の必要性の認識——最初の一歩は「対話の相手」を決めること
このステップの本質は、経営者自身が事業承継を「自分ごと」として認識することにある。日々の業務に追われる経営者にとって、事業承継は後回しになりがちなテーマである。ガイドラインは、全都道府県に構築された支援機関ネットワーク(事業承継ネットワーク)による「事業承継診断」をプッシュ型で実施する仕組みを紹介しており、経営者と支援機関の対話のきっかけづくりを重視している1。
実務的には、顧問税理士、取引金融機関、あるいは商工会議所との日常的な対話のなかで承継の話題を意識的に持ち出すことがスタート地点になる。経営者一人で抱え込まず、身近な支援機関との対話を通じて準備を始めることが第一歩である。
ステップ2:経営の「見える化」——数字と知的資産の棚卸し
見える化の対象は大きく2つに分かれる。(i)会社の経営状況、(ii)事業承継固有の課題。
(i)会社の経営状況の見える化では、貸借対照表に計上される資産だけでなく、知的資産等の目に見えない資産も含めた経営資源全体を棚卸しする必要がある1。ここでいう「知的資産」とは、ブランド、技術ノウハウ、顧客基盤、取引先との信頼関係など、財務諸表には現れない企業の強みの源泉を指す。ガイドラインが活用を推奨する主なツールは以下のとおりである。
- ローカルベンチマーク(通称ロカベン):経済産業省が提供する「企業の健康診断ツール」。6つの財務指標と4つの非財務視点から、自社の状態を客観的に把握できる1
- 中小企業の会計に関する指針/基本要領:適正な決算処理の点検基準
- 知的資産経営報告書/事業価値を高める経営レポート:自社の強みを言語化するための様式
- 経営デザインシート(内閣府):将来の在りたい姿を1枚のシートに構想するフレームワーク
(ii)事業承継固有の課題とは、後継者候補の有無、親族内株主や取引先からの承諾見込み、相続発生時の相続財産と納税方法などを指す1。いずれも承継を具体化する段階で必ず直面する論点であり、早期に洗い出しておくことが後の工程を大きく左右する。
ステップ3:経営改善(磨き上げ)——後継者が継ぎたくなる会社にする
「磨き上げ」の対象は、業績改善や経費削減だけにとどまらない。ガイドラインは、商品・ブランドイメージ、優良な顧客、金融機関・株主との良好な関係、優秀な人材、知的財産権、営業上のノウハウ、法令遵守体制などを含む広範な要素を対象として挙げている1。
なぜ磨き上げが必要か。中小企業庁が2019年に実施した調査によれば、後継者候補が事業を継ぐことに前向きでない理由の上位は「自身の能力の不足」と「事業の将来性」である1。つまり、承継前に経営改善を行い、後継者候補が継ぎたくなるような経営状態まで引き上げることは、後継者確保そのものの前提条件となっている。
事例:本業の競争力強化で後継者が戻ってきたケース
電化製品小売業を営む中小同族会社の社長A(70歳)には、大都市圏の同業他社で働く子Bがいた。Bは自社の将来性を悲観しており、承継の打診をあっさり断った。事業存続を諦めきれなかったAは、大型製品の販売から据付工事まで一貫対応する新事業を開始し、丁寧なアフターフォローで業容を数倍に拡大した。帰省時に自社の変貌ぶりに驚いたBは、自分が関与することで事業拡大の可能性が高いと実感し、地元に戻って二代目経営者として事業拡大に尽力している。
出典:中小企業庁「事業承継ガイドライン(第3版)」事例4をJMIにて要約
このステップに関してガイドラインは一つの重要な警鐘を鳴らしている。親族内承継では相続税対策に重点が置かれすぎるあまり、事業とは無関係な資産の購入や節税を目的とした持株会社の設立等により株価を意図的に低下させるなど、事業継続・発展にそぐわない手法が用いられる場合があるという指摘である1。これは本末転倒であり、経営者交代を飛躍的な事業発展の機会として捉える姿勢こそが、磨き上げの本義である。
ステップ4:事業承継計画の策定 / M&Aの工程
ステップ4は承継類型により二つに分岐する。
ステップ4-1:事業承継計画の策定(親族内・従業員承継の場合)
計画の中核は、中長期目標の設定と、資産・経営承継の時期の織り込みである。ガイドラインの末尾には5カ年版と10カ年版の計画ひな形が収録されており、基本方針・事業承継の時期・株式持分比率・役職・後継者教育方針等を時系列で整理する様式となっている。ひな形は独立行政法人中小企業基盤整備機構のサイトから入手可能である1。
ここで強調されているのは、計画書の完成自体を目的とするのではなく、策定プロセスにおいて現経営者・後継者・従業員等の関係者間で意識の共有化を図ることに重きをおくべき、という点である1。計画は静的な文書ではなく、関係者間の対話のためのツールとして機能させる必要がある。
ステップ4-2:M&Aの工程の実施(社外への引継ぎの場合)
後継者不在等により第三者への引継ぎを行う場合、ガイドラインは次の9工程を示している1。
①意思決定 → ②仲介者・FA(フィナンシャル・アドバイザー)の選定 → ③バリュエーション(企業価値・事業価値評価) → ④譲受側の選定(マッチング) → ⑤交渉 → ⑥基本合意の締結 → ⑦デュー・ディリジェンス(DD:財務・法務・事業実態の詳細調査) → ⑧最終契約の締結 → ⑨クロージング(譲渡実行)
手続の詳細は別途公表されている中小企業庁『中小M&Aガイドライン』に委ねられているが、事業承継全体の流れのなかでM&Aを位置づけることに、このガイドラインの意義がある。
ステップ5:承継の実行——「社長交代」と「株式承継」を分離しない
ステップ1〜4を踏まえ、把握された課題を解消しつつ、事業承継計画やM&A手続に沿って資産の移転や経営権の移譲を実行していく段階である。ガイドラインは、実行段階においても状況の変化を踏まえて随時計画を修正・ブラッシュアップする柔軟性と、弁護士・税理士・公認会計士等の士業専門家との連携を推奨している1。
ここでガイドラインが具体例をもって警告している失敗パターンがある。
事例:株式承継を先送りしたことによる解任劇
業績低迷中の中小同族会社の社長A(76歳)は、高齢を理由に子Bに社長職を譲ったが、株式は100%保有し続け、譲渡時期の取り決めは行わなかった。新社長Bは経営改革を断行し、新規顧客開拓・利益率改善・経費圧縮で業績を黒字化、若手従業員のモチベーションも向上した。しかし、相談を受けられず内心不満を募らせたAは、古参従業員の反発にも後押しされ、臨時株主総会を開催してBを解任した。Aが社長に復帰した後、社内不和を主因に事業は再び赤字に転落し、取引継続に不安を抱く取引先からの問い合わせが相次ぐ事態となった。
出典:中小企業庁「事業承継ガイドライン(第3版)」事例2をJMIにて要約
この事例が示す教訓は明確である。社長交代と株式承継を分離せず、計画段階で両者を一体的に扱うこと。株式の譲渡時期・持分比率の推移・議決権の扱いを事業承継計画に明記することが、こうした事態の予防につながる。
4. 承継類型の選択——どの道を選ぶか
3類型の整理
ガイドラインは事業承継を3つの類型に整理している:親族内承継、従業員承継、社外への引継ぎ(M&A)である1。各類型の主な特徴と留意点を整理すると次のようになる。
| 類型 | 主な特徴 | 主な留意点 |
|---|---|---|
| 親族内承継 | 内外の関係者から心情的に受け入れられやすい。後継者の早期決定により長期の準備期間を確保できる。相続による財産・株式承継で所有と経営を一致させやすい | 適性ある後継者の確保、相続発生時の遺留分対策、相続税負担 |
| 従業員承継 | 経営方針の継続性を保ちやすい。社内事情に精通した者への引継ぎが可能 | 株式取得資金の調達(MBO・EBOの検討)、個人保証の引継ぎ |
| 社外への引継ぎ(M&A) | 後継者不在でも承継が可能。譲渡対価の獲得 | マッチングの難しさ、統合後の課題(PMI) |
類型選択の出発点
類型選択の起点となるのは、後継者候補の有無と、経営者自身の承継後の事業への関与度合いである。ただしガイドラインが示すとおり、どの類型を選ぶにせよステップ1〜3は共通の準備作業である。類型選択を急ぐ前に、まずは自社の経営状況を見える化することが実務的な出発点となる。
各類型の詳細な判断基準については、本連載第2回で改めて取り上げる。
5. 支援策と専門家の活用
公的支援の中核——事業承継・引継ぎ支援センター
事業承継は経営者一人で完結できるテーマではない。ガイドラインは、全都道府県に設置された事業承継・引継ぎ支援センターを中核とする公的支援体制と、税理士・弁護士・公認会計士・中小企業診断士等の士業専門家、金融機関、商工会・商工会議所との連携を推奨している1。
事業承継・引継ぎ支援センターは、相談対応から事業承継計画の策定支援、第三者承継におけるマッチング支援までを無料で提供する公的機関である。ガイドラインによれば、2020年度の事業引継ぎ成約数は過去最高を更新しており、公的支援の実効性は着実に高まっている1。
財政支援——事業承継・引継ぎ補助金
財政面では「事業承継・引継ぎ補助金」が整備されている。経営革新枠(承継を契機とする新たな取組の費用補助)、専門家活用枠(M&A時のFA・仲介手数料等の補助)、廃業・再チャレンジ枠の3枠構成で、中小企業の承継実務を幅広くカバーする仕組みとなっている4。
今すぐできる最初の一歩
事業承継は「いつか」ではなく「今日から」始める課題。明日からでもできる具体的なアクションを4つ挙げる。
- 事業承継・引継ぎ支援センターに相談する:全都道府県に設置された公的機関で、相談は無料。各センターの一覧と連絡先は中小企業庁の公式ページから確認できる(https://shoukei.smrj.go.jp/)
- 「事業承継診断」に取り組む:自社の承継準備状況を10分程度でセルフチェックできる公式ツール。中小企業庁の事業承継ポータルで公開されている(https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/2020/201217shoukei.html)
- 顧問税理士・取引金融機関に「一度、事業承継の話をしたい」と伝える:ステップ1はこの一言から始まる。専門家側から話を切り出すのは難しいため、経営者自身が口火を切る必要がある
- M&Aアドバイザー選定の参考としてJMI公式リーグテーブルを確認する:第三者承継を視野に入れる場合、アドバイザー選びが成否を左右する。JMIは中小M&A市場における各社の実績を独立・中立の立場で集計・公表している
結び
事業承継は、中小企業経営にとって一回限りの、しかし最も重要な経営課題である。中小企業庁『事業承継ガイドライン(第3版)』が示す5つのステップは、この課題を時間軸に沿って構造化する実務的フレームワークとして、現経営者・後継者・支援機関のいずれにとっても出発点となる。
ただし、ガイドラインは万能の処方箋ではない。自社の業種・規模・経営者年齢・後継者候補の有無等により、必要な対応と留意点は異なる1。重要なのは、5ステップという共通言語を持ったうえで、自社の実情に即した具体的アクションに落とし込むことである。
連載「中小M&A実務大全」のロードマップ
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参考文献
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*本記事は中小企業庁が公表する公的資料に基づいて作成している。実際の事業承継に関する判断にあたっては、税理士・弁護士・事業承継・引継ぎ支援センター等の専門機関にご相談いただくことを推奨する。*
脚注
- 中小企業庁『事業承継ガイドライン(第3版)』(令和4年3月改訂) https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/shoukei_guideline.html (参照:2026年4月9日) ↩
- 日本政策金融公庫総合研究所「中小企業の事業承継に関するインターネット調査」(2019年) (『事業承継ガイドライン(第3版)』第一章 図表8〜11に引用) ↩
- 中小企業庁『事業承継マニュアル』第1章 https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/download/shoukei_manual.pdf (参照:2026年4月9日) ↩
- 中小企業庁『中小企業施策利用ガイドブック(2026年度版)』「事業承継・引継ぎ補助金」の項 https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/index.html (参照:2026年4月9日) ↩